自分のやりたいことを知る
もう30すぎたので、いろいろとキャリアやこの先自分のやりたいことについて考える機会が増えた。まだまだ考えがまとまっていないが、ここでdumpしておく。
「エンジニア」というステレオタイプ
自分は、役職を名乗る時に「エンジニア」と名乗ることが多い。
そして巷には「優秀なエンジニアになるにはどうしたらいいか」などの情報が溢れている。
そのため、「自分はエンジニアなのだから、優秀になるにはこうしたらいいのか」という思考に結びつきやすい。
だが、果たしてそれでいいのだろうか?というのを最近よく考える。
そもそも「エンジニア」という単語で、機械工などのハードウェア系の職種しか思いうかばない人も多いだろう。この「エンジニア」という肩書の定義も曖昧だと思う。
そして、自分が今「エンジニア」として、日々行っている業務は比較的新しいものであり、今後も業務内容はどんどん変わっていくだろう。特に小さい会社だと、役割が明確に決まっていて、その通りにやればOKというものでもないことが多い。
そのようなコンテキストで、「優秀なエンジニア」というのは一意に決まるものだろうか?
自分の中にステレオタイプを作って、そこに無理矢理自分をはめようとしていないだろうか?
セルフアウェアネスのPDCA
結局、自分のやりたいことは自分で見つけるしかない。
自分は割とボンヤリ生きてきたので、あまりそういったことを深く考えてこなかった。 ただ、自分のように何も考えていない人でも、自分のやりたいことができそうだ、自分の気持ちがよい場所に近そうだ、というのは誰もが行動を選択するときの指針の一つとして意識的に or 無意識的に取り入れていると思う。
そこで、最近は過去の自分の行動を鑑みて、「この辺に自分の興味があるんじゃないか」と仮説をたてて、実際に検証するようにしている。
もちろん「あまり興味なかったな」と感じることも多い。 ただ、そういうある意味PDCAに近いイテレーションをまわすことで、自分自身が何が好きなのか、どうしたいのかが見えてくる気がしている。
自分を見つめることをセルフアウェアネスというそうだが、セルフアウェアネスのスキルもイテレーティブに改善できると思う。
検証している間はできるだけ没頭する
上で述べたイテレーションで大事なのは、一度「今度はこれしてみよう」と決めたら、とりあえずある一定の期間はちゃんとやることである。他に目移りしないように適宜情報を遮断する。
スクラム開発でいうと、現在進行中のスプリント用のバックログにチケットを追加してはいけないのと同じイメージだ。
没頭せずに気が散ってしまうと結局自分の興味のあることだったのかが後でふりかえりづらくなるし、何より他のことを気にしていては、本来は楽しいはずのものも楽しめない。
例えば、自分の場合、朝起きてすぐのまだ頭があまり働かないときに本を読んだりすると、余計なことを考えずにすむ。
決まっていないという不安
前に 何もしないことの罪 という記事を書いたが、人間には基本的に「安心したい」という欲求があるようだ。
セルフアウェアネスのPDCAをまわすためには、「エンジニアだからこれが正しい」といったステレオタイプを一旦捨てなければならない。これは結構不安になることだと思う。しかし、それがやりたいことをやる自由を得るための代償なのだと思う。
まとめ
もちろんよく言われているエンジニア像こそが本当に自分の目指したい道だ、という人も多いだろう。それはそれで素晴しいことだと思う。自分はあまり好みが自分ではっきりしないので、そういう人を見るとうらやましく感じる。
また、自分の今の職場は自分のやりたいことを応援してもらいやすいが、そうではない、トップダウンで決められてしまう職場も多いだろう。現実問題としてはいろいろな制約があることと思う。
ただ、普段から自分と向きあわないで、なんとなく流行りの言語やバズワードの勉強をしては飽きる、というのをくりかえしている人はいないだろうか?「なんとなく流行りの言語を勉強する」というのがやりたいことであればそれはそれで問題ないが、そうでない場合は、もっと自分と向きあう時間を確保したほうが、より楽しい人生を送れるのではないだろうか。
関連
- 「リベラル」の逆は「保守」ではなく…歴史に耐えるものさしで、中島岳志さんと現代日本を読み解く政治学
- 個人の自由度が高まると、逆に不安になるので、断言してくれる人が求められる、というのが述べられていて、なるほどなと思った。
- あれをやらなきゃこれをやらなきゃをやめた。
- 言いたいことは通じるものがあるかなと思う。