伝え方の方程式
例えどんなに正しいことでも、指摘するときは細心の注意を払わないと、結局、指摘された側は指摘されたことで逆にムキになったり、単に落ち込んだりして改善に繋がらないことが多い。
— Kota Yoshitsugu (@_yoshitsugu) 2017年9月14日
相手によって伝え方を変化させる
例えば、天邪鬼のA君がいたとする。A君は天邪鬼なので、何かをするように言うと、言ったことと必ず反対のことを実行する。ある時、A君が友達のB君に乱暴しているのを見かけた。やめてほしいときに何と伝えるだろうか。
例えば、「もっと乱暴してほしい」などと言うことでA君は乱暴をやめてくれるだろう。ここで脊髄反射的に「乱暴しないでください」と伝えてしまうとA君の乱暴はさらに加速してしまう。
単純化するとこういう話なのだが、私達は普段ついつい自分が相手にやってほしいことをそのまま伝えがちだ。
やってほしいことをそのまま伝える弊害
やってほしいことをそのまま伝えると何が悪いのだろうか。A君のような人はあまりいないと思うが、例えば、自分はXが正しいと思って行動している人に、本当はYをしてほしかった、と伝えたいとする。単純に「Yをせよ」と言うとどうなるだろうか。言われた人はXが正しいと思っているのでおそらく「なんでYをしないといけないんだ」と思い、人によっては怒りを感じるだろう。
さらに悪い例をあげる。伝える側は「この場合はYをするのが常識だ」と思っていて、「Yをするのが常識でしょ?」と言ったとする。するとXをした人は怒るか、自分は常識がないのだと落ち込むだろう。これでは本当にやりたかった「Yをしてもらう」ことは達成できない。場合によっては「教育」目的で落ち込ませることを意図することがあるかもしれないが、だいたいそういう「教育」はうまくいかないものである。
また、これは国と国の例だが、日米の北朝鮮への対応は本当に相手を見て伝え方を決めているのか不安だ。自分は政治には疎いので、何とも言えないが、強硬策はただやってほしいことをそのまま(もしくは強調して)伝えているだけではないだろうか。
「どう伝えるか」という方程式を解く
伝え方を決めるのは、やってほしいことと、相手の受け取り方の特性を制約として方程式を解くようなものだ。
「相手の受け取り方の特性」とは、相手がどういう言葉に敏感なのか、何を大切にしているか、伝える瞬間にどういう感情でいるのか、などの、相手が受けた言葉を解釈するときにかかるバイアスとなる要因のことを指す。
伝え方を考えずに決めてしまうのは、相手の受け取り方の特性への考慮が抜けている。つまり、ax+b=5という方程式で本当はa=1, b=2という値が決まっていてx+2=5を解く問題なのに、a=1のみの制約でx+b=5を解こうとするようなものだ。
もちろん、相手の受け取り方の特性というのはb=2のように簡単に決まるものではない。そのため、bの値を推測しながら解く必要はある。ただ、bがどんな値でも取りうるのか、ある程度制約があるのか、がわかっているだけでもかなり解きやすくなるのではないだろうか。
伝える前に一呼吸置く
何かやってほしい/やってほしくないことを伝える時は上記のことを念頭において、一呼吸おくほうがよいように思う。特に相手の行動にイライラさせられている時など、感情的になってしまっているときにこの一呼吸がおろそかになりがちだ。伝え方を誤ると、例え内容が正しくても、天邪鬼のA君に「乱暴しないでください」と頼むようなことになってしまう。
仕事仲間に伝える時、子どもに伝える時、どんな場合でも相手を意識して伝えるようにしたい。